伊福部昭の音楽のフィルモロジー
その5 音楽演出の種類 前半
ある日、先生は「作曲に於ける即物的思考の重要性」について講義してくださったことがありました。19,20歳くらいの音大生に“即物的思考”を説くのもハードルが高過ぎだと思うのですが、先生はおもむろに黒板に椅子の絵を描き、
「椅子は四本足だからこそ完成されています。」
「二本足では立つことは出来ないし、三本足では不安定な椅子になりますね。」
「かと言って、五本は必要ないのです。これを即物的思考と言います。」
このように目的と手段には絶対的なフォルムがあり、それ以外は機能としては不自然だということをボクらに分かり易く解説してくださいました。
伊福部先生は、反ロマンティズムの立場を取る作曲家で、以前ここにも記述したストラヴィンスキーの「音楽は音楽以外、何ものも表現しない」という主義に共鳴しています。ロマンティズムが作家にとって如何に危なっかしい思考に陥るか、即物的思考を例にして講義したのでした。
伊福部先生のフィルモロジーも、映画のための映画音楽という即物的スタイルに則って作曲されています。今回お話しするテーマも、まさにその前提の講義となります。
《音楽演出の種類》
伊福部ゼミでのフィルモロジーでは、この音楽演出の種類を5つの項目に分けて説明されました。
1) 説明・描写・表現
「効用としての音楽は、観る側の先入観を利用する」
これは、「音楽は音楽以外、何ものも表現しない」という音楽の立場から、“効用”として(映画や演劇やオペラなど)音楽的効果を表出するにはいかなる方法があるかということになります。短調の曲を聴ければ悲しい印象を持ち、アレグロ快活な曲を聴けば元気なイメージを受けます。これらは我々が経験してきた中で培われた印象であり、また誤解でもあるのですが、それが先入観となって効用するとこになります。
そして、その効用効果には3つの段階があり、それが「説明」「描写」「表現」の3種類になります。
「説明」する音楽とは、カートゥーンアニメ(トムとジェリーやポパイなど)のように人物・動物・モノなどあらゆる映像の動きに同調する音楽を付けることを意味します。例えば、トムが塀に衝突するときのティンパニや、滑って転んだときの半音階下降フレーズからの落ちのドン! とかがそれです。
「描写」する音楽とは、アルプスの山々にハイジがいる時のホルンの音や、時代劇の尺八音楽、カップルの初デートシーンなどの爽やかな音楽などがそれになります。
「表現」する音楽とは、後述するコントラプンクタスにも連動しますが、登場人物やそのシチュエーションの心理的効用を喚起する音楽になります。例えば、主人公が老いて最期の時、幼い時に聴いた音楽が流れたり、悲惨な戦闘シーンに煽る音楽ではなく、レクイエム的な音楽を設定する等、作家としてシーンをどのように表現するかを意味します。
伊福部先生は、この3つを下記のように位置付けました。
説明<描写<表現
勿論、方法論として3つは等しく重要な表現方法なのですが、説明の多い映画は、比較的子供向けやエンターテインメント性の強い音楽付けとなり、それに反して表現の多い映画は、思索的・抽象的な音楽付けとなります。ボクらは、作品の方向性を熟知して、これらのバランスに配慮しなくてはならないのです。コッポラの映画にカートゥーンの様な説明音楽を付けても、全く演出意図には合わないわけです。
2) 音楽の三要素による効用
音楽には、それを構成する三要素があります。所謂、「旋律」「ハーモニー」「リズム」がそれです。これらは、映画の効用に密接にリンクしていると伊福部先生は仰っていました。
黒板に下記のように書かれました。
旋律 喜怒哀楽の感情・感傷を喚起
ハーモニー 思索・宗教性・哲学・理性の働いている状態を表現
リズム 画面の動きに同調することによって効果を増幅
旋律が喜怒哀楽の感情を喚起するのは、前述した音楽の先入観を利用した効果ですし、旋律が歌詞を伴うのも感情・感傷を喚起するところからだと言われます。
それに対し、ハーモニーは思索や哲学など“物思う”状態にリンクします。旋律が担う人間的なものとは違う、別の次元を表現できます。
リズムが、画面の動きに同調するというのは、特に特撮映画やスポーツ系映画に見られる効果です。
伊福部映画の中でも、「ゴジラ」はこの3つを的確に区別していて、ゴジラのテーマ(当初は自衛隊のテーマになりますが)は、旋律とリズムの強調によりゴジラの脅威を表現し、ラストはハーモニーを重用した音楽でゴジラの死とその哲学的意味を表現しています。
音楽演出の種類としてはあと3つ
1) インタープンクタス(正攻法)とコントラプンクタス(対位法)
2) ライトモチーフ
3) 引用法
これらは、次回ご説明致します!