伊福部昭の音楽のフィルモロジー
その1 音楽としてのドラマトゥルギー
伊福部先生が旅立たれて11年。先日も「ゴジラ」シネマ・コンサートを公演したが、これも先生の生誕百年の伊福部昭音楽祭をキッカケとして誕生しました。既に5回を数えるステージで、毎回思い返すのは30数年前の東京音大の作曲学生だった頃の伊福部ゼミでの映画音楽の講義、日頃音大の授業やレッスンの中では映画に関しては一切触れないのですが、いつの時か「映画について興味のある方も多いようだから、一度学術的に講義しましょう」と仰られ、先生お手製の資料を用意してくれて、何度かに渡ってゼミの中で講義をして頂きました。これが所謂「音楽のフィルモロジー」と題した伊福部映画音楽論です。
伊福部昭関連本も数多くあるけれど、具体的に、例えば「伊福部昭の効用音楽四原則」を語ったものはあまりないですし、映画音楽の作り方を国別にカテゴライズしたり、あらゆる書法体系立てて示した本も、ボク自身目にしたことが無い。
ボクは一切学校での教鞭は取っていないのですが、唯一日本映画大学(旧日本映画学校)で映画音楽概論を年に一回だけ講義していて、その内容が実はこの音楽のフィルモロジーなんです。「映画音楽とは何か?」を論理的に伝えるのに素晴らしいテキストなのですね。
沢山のコンテンツがあるのですが、伊福部先生の意図もあり、先生の講義順に進め、シリーズ的に展開したいと思います。
《音楽としてのドラマトゥルギー》
まず伊福部先生が最初に講義されたのが「ドラマトゥルギー」。元々は演劇論として劇作法や演出論を示しますが、伊福部先生はドイツ語の「Dramaturgie」を引用して、芸術上の帰納法的演出、構成論として講義されました。但、当時田舎から出てきた音大生としては、このドラマトゥルギーという言葉を理解するまでに、実際の映像の仕事の現場に出てから何年かの時間が掛かりました。
伊福部先生は、具体的に言葉の意味を教示するのではなく、例えば「にんじん」(1932年仏映画)の音楽構成に於いて、音楽を担当したアレクサンドル・タンスマン(※注)がどのようなドラマトゥルギーを作品に投影したか等々を語るのですが、最初はチンプンカンプン。しかしいろんな例を持って先生が「○○の作品のドラマトゥルギーに関しては○○である云々」と話してくださるうちに、なんとなく、オボロゲに、「映像」「音楽」「演出」がドラマトゥルギーを通して「映画」へと昇華されるんだなと感じてきたのでした。
兎に角、先生は「○○のドラマトゥルギーは…」「ドラマトゥルギーとしてこの作品は崩壊している…」「作家としてのドラマトゥルギーは…」と、講義の中で多用する言葉で、たまに毒舌に作品を酷評するんですね。メロディーや曲調等を批判するのではなく、〈ドラマトゥルギーの成立〉が評価の焦点でした。ボクとしては、この時代はまだ「ドラマトゥルギーって重要なんだなぁ」くらいの認識でしたが。後に作曲家として映像に関わる際に最も重要な視点だと肌で分かってくるのでした。
映像作品の音響には「音楽」「台詞」「効果音」の3つがありますが、特に作曲家の立場としては、音楽と効果音はドラマトゥルギーの成立の上で重要な位置にあります。その手法・書法は、今後のコンテンツで述べて行きますが、映像と演出(監督の意向による)の間で音楽のドラマトゥルギーは作曲家としてのアイデンティティーを確立して行くもので、その意味で映画は作曲家が違えばかなり違うテイストになります。先に効果音もドラマトゥルギーの成立の上で重要な位置にあると述べましたが、例えば1954年の「ゴジラ」のオープニングタイトルでは、ゴジラの足音と咆哮が楽譜化されていて、音楽とのタイミングとバランスが計算されています。
ある意味、音楽の演出論としてドラマトゥルギーを捉える面もありますが、あくまで映画は監督のモノ、監督の意向と違う音楽演出はあり得ないのですから、このドラマトゥルギーは作曲家が前面に出るためものではありません。その意味で伊福部先生は〈ドラマトゥルギーの成立〉の可否を示唆してくださいました。
音楽のドラマトゥルギーを理解してこそ、日本における映画音楽の位置、ハリウッドやヨーロッパ映画の違いが分かり、洋画と邦画の音楽への認識の違いや、そのルーツとしてのオペラや能・歌舞伎等の伝統芸能の流れからくる文化観の違いが見えてくるのです。
実際に、今流行っているシネマ・コンサートでの「ゴジラ」と「スター・ウォーズ」のような体験型映画に接すると、その違いが体感として受け止められますが、それがまさにこのドラマトゥルギーの違いなのです。どちらの映画も感動を与えてくれますが、伊福部昭とジョン・ウイリアムズのドラマトゥルギーの違いがそこに見えるのです。
アレクサンドル・タンスマン (1897年-1986年)
ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。ラヴェルやストラヴィンスキーと親交があり、伊福部先生が第一席を獲得したチェレプニン賞の審査員でもある。フランス新古典主義的な作風であるが、故郷ポーランドの民族音楽からの作品が多くある。