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現代音楽からTV・映画の劇伴や舞台・イベントなどの作曲や編曲etc.

Column コラム

作曲家になるって…

2001年07月01日|コラム

さぁ、コラム第2弾。なんとか月一ペースで頑張ってます! 今回は「作曲家になること」についてツレヅレに思ってみました。 みなさんも、作曲家って不思議な存在だと思いません?サラリーマンでもないし、自営業でもないし…僕が、どうのように歩いてきたのか…

― 年を重ねていくうちに実感する言葉「一期一会」
「一期一会」って云う言葉、歳を重ねていくうちに実感する言葉ですよね。僕は、実家の商売がお客様相手だったせいか、あまり人見知りをした覚えがなく。むしろ知らない人でもすぐに友達になってしまう子供でした。だから、人との出会いに若い頃は、あまり感謝するという実感がわかなかったんですね。

―作曲家の定義って曖昧かもしれない―
高き志を抱いて、上京し音楽大学に入学して、最初の作曲理論の授業で (この時の先生は伊福部先生ではなく、伊福部門下の池野成先生でした)

「作曲で 食べていこうなんて、とんでもないことですね。」

なんて講義を受けました。やる 気マンマンの僕は、かなり出鼻を挫かれた思いだったのですが、その本意が卒業後に分かったことは、言うまでもありません。でも、その頃から、今もそうですが、作曲家ってどうしたらなれるんだろう、作曲家ってなんだろう、っていう疑問が湧いてきました。

作曲家の僕が云うのもおかしな話ですが、ある意味、曲を書けば誰でも作曲家だし、人から認められる作品を書くからなのか、経済的自立ができるからなのか、その「作曲家」の存在って、世の中では結構曖昧なんですよね。
僕のところにも、たまに若い作曲家志望の方が尋ねてこられて、「作曲家になりたいのですが…」と相談されるのですが、何をどうしたら良いのか困ってしまうんです。
つまり、作曲家って「なるもの」ではなく、「ならされる」ものだと思うのです。

僕は、高校時代から作曲の勉強をはじめて、純音楽作品もその頃から書き始めました。

でも、それを職業にしようという認識は全然なく、まして今のような劇伴や編曲などの仕事をするとは、思ってもいませんでした。
海外での放浪生活から戻ってきた僕は、ひょんなことでアシスタント・プロデューサーになろうと、某制作会社の門を叩いたのですが、そこの社長に「君、せっかく作 曲やってるんだったら曲を聴かせてみなさい。」と言われ、作品を聴いてもらったところで、APの話はどこへやら、いつの間にかアニメの劇伴をやるようになりました。

―神様の悪戯 度重なる偶然
まさに神様のイタズラか偶然ですね。そして、その後も偶然は度々重なりました。今でも、どうやって作曲家になったのかと訊ねられても、???・・・

ただ、自分自身の音楽の探求を怠らず、自分が何をやっていきたいのかをいつも考え、 真摯に作品を創り続ける。

これが僕にとっての、作曲家としてのアイデンティティー だと思っています。そうして創られた作品が、あらゆる環境で出会った(仕事や舞台やインターネット等々)方々に喜ばれ愛されることが、作曲家になっていくことなんだなぁ、と今しみじみ感じています。

〔編集後記〕
第二回目のコラムは「作曲家になる」_いかがでしたか?さて・・・次はどんな話題が飛び出すか楽しみですね!