最初のアイデア会議の際、私が呈示したアイデア・プロットには既成の童謡を挿入する方法を考えていた。(創作ノートVol.4参照)それは童謡の持つ時代背景と日本語との関連性を台本に活かせないかと言う企図からであった。と同時に、清水かつらの創作した約300編の詩を全て検証し、今回の企画に沿うであろうと思われる作曲されていない作品、20編余りを選出した。大正から昭和初期に創作された詩とは言え、人間性の消失、将来への不安、家族の分裂など、現代に通じるテーマを表出した詩も多く、改めて清水かつらの詩人としての先見性と普遍性に敬意を感じるところであった。

 台本作りが清水かつらの随筆「うずら」を原案にして再創作する頃から、ストーリーに合いそうな詩を更に選別していき、最終的に8編を選ぶに至った。

ながれ
河鹿の鳴く頃
風の夜
子守唄
靴のうた
わたしはお床で
寂しい空
なわとびシャン

以上が清水かつらの詩として、今回の「うずら」のために新たに作曲する詩である。この中で最も私の心に響き、最初に作曲したのが「ながれ」であった。

 五木寛之の大ヒット作品に「大河の一滴」という随筆があるが、その中に語られる人生と時間と水の流れの因果に多くの読者が共感した。また、私は中国の思想家である老子を愛読しているのだが、その中にも水の流れに人生の道理を説くくだりがある。昭和2年に創作された「ながれ」が、時代を越え、現代にもその強いメッセージを放しているのは、水と言う不変に人生や生き様を反映し、詩と言う言葉の宇宙に心を開放してくれるからではないだろうか。

 その「ながれ」を作曲するにあたって最も注意を払ったのが語感である。以前、日本語の歌で重要なのは「アクセント」ではなく「文脈」と「リズム」であると書いたが、(創作ノートVol.3参照) 語感とは、作曲の際の「文脈」であり「リズム」である。如何に詩が放っている普遍の光を遮らずに音楽化するか。七五調3行の短い詩の世界が、6小節の小さな音楽世界からどこまで広大な宇宙へと広がるか。これを「うずら」のメインテーマ曲とし、この曲の完成度こそが「うずら」成功の鍵を握るであろうと直感された。

 作曲は、意外と困難を感じることもなく書き進められた。他の7編にも言えることなのだが、清水かつらの詩は、未曲の作品でも既に曲が付いているが如く、すんなりと音楽に馴染んで行くのである。それは童謡詩人としての素晴らしい天分のみならず、詩と音楽の同一性を目指した大正時代の童謡文化の結実でもあるのではないかと思う。さらに七五調という日本語独自の語感が、私の企図する日本古来の音素材との融和を自然に形成し作曲に反映できた。また当初の不安材料であった文学と音楽の不一致と言う観念を、少しずつではあるが拭うことができる結果となった。

 こうして2009年の初秋から、台本作りと平行して、まずはアリアの作曲から作業に入った。70分という大作の作曲作業に入るには、まずは音楽の構成案、アリア・合唱・管弦楽などの配置配分、音楽のドラマトゥルギーをどうのように構成するかを設計しなければならない。そして、台本作りに沿って清水かつらの詩だけでは補えないシチュエーションに対し、新井鷗子氏に作詩を依頼する。これは最終的には4曲となった。大家と娘の二重唱、先生のアリア、間奏曲としての合唱曲、そして演劇的要素を持った三重唱と合唱、それぞれキャラクターを活かし、尚且つ物語と詩のバランスが絶妙な詩作である。

 作曲もいよいよ本格的に筆を進めることとなる。