オペラのみならず、演劇・ミュージカル・映画・テレビ等々、多くの作り手や演者を必要とする総合芸術には、最初の一歩として「台本」という共有の基がある。それはある種、大建築物の設計図でもあり、宝探しの財宝のありかを示した地図でもある。原作ものと言われる文学作品をもとに戯曲化した台本もあれば、シェークスピアのように純文学を凌駕するほどの戯曲(台本)もあるが、どちらにしても台本の出来で作品の8割がたが決まってしまうと言っても過言ではないだろう。

 今回の企画では、その台本作りから作曲家に委託された。ワーグナーのように自ら長大な台本を書き、楽劇として具現化した作曲家も存在するが、大体はヴェルディやプッチーニのように原作→台本→作曲の段階で多くの問題や格闘をしながら制作を進めて行くのが常であり、この「うずら」も台本の完成までに2年を月日を必要とした。

 前述したように、台本はオペラにとって最重要であり、その創作には当初から半年から1年は掛かるだろうと想定していた。片山氏からいろいろなアイデアが提案され、それをアイデア会議と称した作曲家・演出家・指揮者・台本作家で討議する。台本作家が表現したいもの、演出家が考える舞台構図とその現実性、指揮者からの音楽的なアプローチ等々、予想はしていたとは言えプロット作りの段階からかなりの難産で、あっという間に予定の1年が経過しようとしていた。しかし、この1年の経過の理由は明快で、日本語とオペラの共存の問題と、日本語で歌われることの意義をこの新作でどう扱うかを台本に反映する困難さが大きな原因であった。

 ちょうど1年くらいが経過した第7回目のアイデア会議の席に、片山氏から清水かつらの随筆で「うずら」という作品があり、これをアレンジしてはどうだろうという提案があり、1幕5景のシノプシスを見せて頂いた。これが今回の「童謡詩劇うずら」の第一歩であった。このシノプシスをもとに、さらに舞台化への問題や音楽上の配慮などが検討され、1幕3場という構成で台本制作に入ることとなった。

 原作の「うずら」は、童謡詩人・清水かつらには珍しく、シニカルであり、虚無的な様相も含んでいた。それは作家として、かたや童謡と言う幻想の世界と、詩人と言う現実との格闘が生み出した生の声のようにも見え、このエッセンスがオペラと言う歌と演劇の共有舞台に活きるのではないかと考えた。

 ここから音楽構成作家であり、オペラ台本の翻訳や批評もされている新井?子さんに台本作りに参加して頂くことにした。片山氏から新井氏にバトンタッチする形となったが、片山氏のシノプシスをともに、1場ずつオペラ化を前提としたプロットを私が起し、新井氏と私とで協議しながら台本化を進める方法をとることにした。

 と同時に、清水かつらの全詩集約300編の中から、まだ曲が付いない、台本に沿った詩を選出する作業に入った。それは、童謡を新しい形で今回の作品に挿入したい企図は勿論のことだが、原作の持つ詩人としての感性に注目したからに他ならない。そして、「ながれ」や「寂しい空」など、現代人の深層にも共鳴する名作を発見できたことは、作曲家として心ときめくものがあった。

 8回の台本アイデア会議、度重ねたプロット打ち合わせを経て、2009年12月にようやく第1稿台本による台本会議を持つことができた。そこから更に推敲がなされ決定稿へと完成するのだが、それはもう公演年である2010年の2月であった。

勿論、ここから作曲を始めていたのでは、とても初演には間に合わない。作曲作業は前年から始まっていた。