Vol.2 日本語とオペラ#2 童謡と演劇
2008年2月に実行委員会との初顔合わせがあった。実行委員会からの注文は、この和光に縁のある童謡詩人・清水かつらのオペラを作って欲しい、そして全国各地で再演されるような作品にして欲しい、という2点だった。しかも、清水かつらを題材に、作曲だけでなく、台本・キャスト・スタッフ等、何から何まで全て任せるということなのだ。
これには驚いた。オペラを書いたことの無い作曲家にそこまで託して良いものなのか?! 聞けば、現代オペラが面白くないのは、作曲・台本・演出などの意志疎通がバラバラで、そこに作品の普遍性が欠如する理由があるのではないかという実行委員会の見解であった。さらに、オペラを作ったことの無い作曲家だから、その未知数に期待したいとのこと。
前者は、一理あるとは思う。しかし、それにしても私を指名するのは大冒険なのでは? 後者は……。なんとも複雑な心境になる委嘱理由である。
私は、辞意を覚悟に(むしろクビになることを期待?!)、2つの条件を出させてもらった。1つは、所謂グランド・オペラ的な様式の作品は創作しないということ。そしてもう1つは、「清水かつら物語」は作らないということ。前者は、前回の創作ノートに書いた通り、グランド・オペラという様式が作曲家として相いれないこと。後者は、一個人の生涯を舞台化するのと、普遍普及を目的にそれを創作するのは困難だと感じたからである。折角、数年がかりで、和光市を中心に専門家や市民など広く人材を集めたこのプロジェクトが船出をしようとしているのだから、既成概念に捕らわれず、新しいカタチの舞台芸術、そして広い世代と地域で共感のもてる物語にしましょうと、結果的に実行委員会にハッパをかける形になってしまっていた。そして、大きな期待を受けながら初顔合わせは終わった。まだ何もアイデアがないまま…
私は、日本の作曲家、いや音楽家としてずっと気になることがあった。それは西洋音楽を学び、オーケストラや室内楽、時には現代邦楽の分野でも活動する中、私たちは西洋音楽導入期の明治維新後から現代に至るまでの経過を、きちんと検証し、引き継いでいるのだろうか、ということである。音楽学や歴史学的に検証する専門家はいるが、私が思うのは、民意の中にそれがあったであろうかということである。例えば、ヨーロッパは、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン……と、様式や時代背景が変遷しても、ひとつの継承という流れがあり、積み重ねがあって現代の音楽へと通じる。翻って日本の現状を見た時に、私たちは明治・大正・昭和の時代の流れを音楽として継承してきただろうか? それなくして文化と云えるのであろうか? という問題である。
そうした現状の中、唯一永い時を越えて今も残っているのが“童謡”や“唱歌”なのではないかと思う。厳密に云うと、童謡と唱歌は、その生まれた理由は大きく違う。それはまた別の機会に述べるとするが、100年という時を越えて、古典芸能ではなく、創作曲として民衆の中に残っている童謡や唱歌を、今一度検証すべきではないかと考えていた。そうすることによって、日本人独自の“歌”が生まれるのではないか?
微かな期待が生まれた。
縁あって、1999年から劇団青年座の音楽を時折担当させて頂いている。この新劇と呼ばれる、欧米の翻訳劇でない、日本独自の演劇表現を切り開く姿は、音楽家として大いに学ぶものが多い。例えば、青年座の公演は、音楽界でいうと毎回日本の現代音楽を公演しているようなものである。しかも劇団として輝かしい歴史と成果を上げている。オーケストラにそんなことがあり得ようか?
また近代西洋の演劇論の影響を受けながらも、日本語での方法論の開拓に労力を惜しまない。この姿勢がなぜ音楽界にないのだろう?
ひとつ云えるのは、この新劇運動は明治末期から、脈々と受け継がれているという事実と背景である。前述したように、正に音楽界がしてこなかったことを、そこに見ることが出来たのであった。
私の中で、長年関わってきたもの、点と点とが細い線で次第に結ばれ、段々と太くなっていく感覚を覚えた。
童謡、演劇、そしてオペラ。何か出来るかもしれないという予感。
しかし、ここから台本完成まで2年という時間を要するのであった。