「土俗的舞曲」
テレビでは連日政局の動向が報道されていますね。
なんと総選挙は8月30日?!
まだケルンにいるんですけど…(汗)
さて、今日はプログラムのお話の続きを。
「土俗的舞曲」
「和田薫の世界 喚起の時」より「土俗的舞曲」
この曲のことは、吹奏楽経験者をはじめ、多くの方がご存じかもしれませんが、改めて今回お話したいと思います。
元々、この曲はピアノ曲として作曲し、その後吹奏楽曲、そしてオーケストラとして変遷してきました。
大学2年の時、副科ピアノクラスの発表会があり、作曲科の学生はそれぞれ自作の曲を弾くようにとの課題が出され、2楽章からなる「連画」という曲を作曲し自演しました。
その時の演奏を聴いていたトロンボーンの友人が、
「この2曲目は吹奏楽向きじゃない? 時間も課題曲にピッタリだよ」
と、アドバイスをくれたのでした。
課題曲とは、全日本吹奏楽コンクールの課題曲のことで、毎年1,2曲(当時)を公募というコンクール形式で募集していました。
僕自身、高校時代吹奏楽部でホルンを吹いていたので、
「それじゃ、やってみようかな」
と、早速吹奏楽へのオーケストレーションをし、まず大学で試演、手直しをして応募、課題曲に選出、という経緯で吹奏楽版の「土俗的舞曲」がここに誕生しました。
この作品は、僕にとって一種の“スタート”でもありました。
まず第一に、初めて日本的な書法で作曲したのがこの作品でした。
それまでの高校時代や大学時代は、後期ロマン派や近現代的な作風の曲を習作していましたが、どうしてもその中には自分の“道”は見つけられないでいました。
そして第二に、師匠である伊福部昭先生からいろいろと教えを頂いている中、日本の伝統的な音楽文化の重要性は認識できても、なかなか経験や実践として実感できず悶々としていた時でもありました。
そんな時、この「土俗的舞曲」を通し、作曲や演奏の中で様々な重要なこと、その後僕が作曲家としてテーマにすべきことをこの作品は示してくれました。
そして、先日のブログの「囃子」の中でも触れましたが、「民舞組曲」を作曲する中で、この曲を終曲に配したのは、それまでの僕の作曲過程における総括にしたかったと言う思いからでした。
19歳の時にピアノ曲として作曲してから28年。
この間、現代音楽界や世界の音楽事情も変わってきました。
でも、今回ケルンでこの曲を演奏したいと言ってくれたFechner氏の気持ちは、時代と国や民族を越えて、音楽の本来の意義が共鳴したのだと、本当に実感しています。
今でも、師匠の言葉が耳の奥に残って聞こえてきます。